12月の「十五の月」に掲載させて頂きましたこぼれ話です。
11月22日(良い夫婦の日)
約一年をかけて御拝読させて頂いておりました、
「御母の御略歴」も11月で最後の章になりました。
楽しい時間を御一緒に過ごさせて頂き有り難うございました。
こぼれ話も最後になりますので、何かほのぼのと終わりたいと思っておりまし所、
丁度一週間前が11月22日「良い夫婦の日」でしたので、
この話をさせて頂く事に致しました。
素晴らしい御夫婦がいるからと連れて行かれたのが、
豊明様、芙蓉様のお宅でした。
お二人のお人柄、御一家の暖かさ。
日本教がどんな宗教かも分からなかったのですけれど、
こんな素晴らしい方がなさっているのだから間違いはないと、
それだけで愛子にさせて頂きました。
ある東京の方が、愛子になられたきっかけを話して下さいました。
そのお話しの通りとても仲の良い、思い合っている二人でした。
父は、御本部にいる時、母と離れている時は何時も
朝と夕方、一日二回必ず母の所へ電話をしてきました。
何十年と変わらず毎日ピッタリ同じ時間でした。
ある時中臣様があれはすごいね、どんな時でも、会食の最中でも時間になると
電話をしに行ってたよ。とおっしゃってくださいました。
(この頃は携帯電話がなかったので、電話の置いてある場所まで
いかなければ、電話出来ませんでした。)
電話の時間の少し前になると、母の方もそわそわして鳴ったらすぐに出られる様に
電話の前に座って待っていました。
市川の家に住んでいるときは、
父は駅に着くと必ずこれから帰るという電話をしてきました。
母はやはりそわそわして、電話を聞くと玄関にスリッパを並べ、身支度をして
玄関にある鉢植えに水やりをしていました。
ある時、妹の友達が泊まりにきて、夜の10時頃に母が花に水をあげ始めたのを見て、
その理由を母にたずねていました。
花が生き生きするから、父が玄関を開けた時に生き生きした花で父を迎えたいからと
母は答えていました。
どんな時でも、お互いがお互いを大切に、思い合っている二人でした。
コメント