こぼれ話「勇祚様のご奉職」「新偶様」「豊魂君ご降誕」
「十五の月」未踏久への歩み、こぼれ話
6月「勇祚様のご奉職」、7月「新偶様」、8月「豊魂君ご降誕」
合わせて載せさせて頂きます。
「勇祚様のご奉職」
御略歴に勇祚様がご登場されたときのこぼれ話です。
絵本の会では勇祚様が名実共に日本一の小学校の算術の先生
(この頃は算数ではなく算術と言っていました)
だったという事をお話しさせて頂きました。
勇祚様の奉職されていました富士小学校は、欧米に追いつけ追い越せの日本が
人材を育てる為に鳴り物入りで作った当時東洋一の規模、設備を誇った小学校でした。
その日本の小学校教育の中心の学校で算術の主任をされていたのが勇祚様でした。
この学校の主任という事はその分野の第一人者ということで、算術協会の会長も
されていました。
数々の論文も出されていますが、理論と実践。
勇祚様の凄い所は理論だけではなく教え方も非常に長けていらしたことでした。
NHKのラジオでも算術を教えていらっしゃいました。
(戦争直前ですので「花子とアン」の村岡花子さんとはNHKでお会いしているかも、)
また天皇陛下(昭和天皇)の弟宮様が小学校の算術の授業参観をされた時、
全国から一人選ばれたのは、勇祚様の授業だったそうです。
勇祚様に教わった生徒は信じられない位力がつく事で有名で、
勇祚様に教えてもらいたくて勇祚様の教室はいつも凄い人気だったそうです。
(今では信じられないでしょうが、校長が父母の懇願に根負けして、
勇祚様の教室には机が入りきるだけ生徒を詰め込んだそうです。)
「新偶様」
7月のこぼれ話は新偶様の事をお話しさせて頂きました。
7月に御拝読させて頂きました御略歴に
「嫁の親戚に当たる、大阪市在住の大学在学中の青年を連れて参りました。」
と御座います。
ここで出て参ります「嫁」とは御母の御長子、宿縁豊明神使の妻、
「芙蓉乃命使」(母、長谷部秀子)の事です。
「大阪市在住の大学在学中の青年」と御座いますこの青年が「新偶様」です。
黄色い立田祭御請願用紙にございます「礎石神使、新偶様」なのです。
感謝祭会場でこの話しをさせて頂いていましたら、この青年が新偶様とご存じない方
が多く、ほぼ全体から「え、え」という声が聞こえて来ました。
「嫁の親戚に当たる」とお書きになられていますが、
新偶様は芙蓉乃命使の母親の従兄弟(私に取りましては母方の祖母の従兄弟)で、
大阪から御母にお会いにいらっしゃったのも、父と母が当時は婚約中でのご縁でした。
御母と御一緒に御使命に立たれ(「共に使命に立つ」御略歴より)、御神報の
発行者をされていらっしゃいました。
御神書「神に目ざめよ。神自ら神を教えん。」が全国の書店で発売された事が
あったそうですが(満津道神使のこぼれ話)、一般の人に分かりやすい様に
「神なしの観念でいた私」等、各表題をつけられたのが新偶様でした。
「秀子ちゃん、ここの神様は本当の神様だから、絶対に離れてはいけないよ。」
ある時、新偶様は母にこうおっしゃって下さったそうです。
「豊魂君ご降誕」
8月感謝祭のこぼれ話は豊魂君御降誕の時のお話しをさせて頂きました。
「御略歴御本」に豊魂君御降誕の時のご様子が
「この出産こそ、真に思いもかけず、、、最後の一瞬まで、知らずにいました。」
とございます。
実際に御母も勇祚様も全くご出産とは思っていらっしゃらなかったので、
ご出産の用意を何もされていらっしゃらなかったそうです。
慌てた勇祚様から東京の母(芙蓉乃命使)のもとへ電報が送られて、
母は御出産のお知らせと、「至急、赤ん坊の用意を頼む」という電報に、
3日で(戦時中で物のない時代です)用意をして、リュックに赤ん坊の品々を
詰め込んで、東京から岐阜の上之保まで大急ぎで駆けつけたそうです。
この時の様子を父(豊明神使)に手紙で送り、「目の大きいとても美しい子です。
あまりに可愛いため傍を離れられないでいて、寳主様に「豊彦(豊明神使の事)
におこられるよ。」とからかわれています。」と報告したそうです。
7月8月はトーンチャイムの錬成があり、
「御略歴御本」の会合もさせて頂きましたので、
その時のこぼれ話も合わせて書かせて頂きます。
「御略歴御本」に「嫁」という表現で母(芙蓉乃命使)の事が書かれていますので、
父と母の結婚のいきさつをお話しさせて頂きました。
母は父の写真に一目惚れをして
(父は娘の私が見てもハンサム「イケメン」でした)
父はその母の純情さが気に入ってという二人でした。
この時、御母のもとに母の「釣書」(お見合いの為の身上書)が送られて来た時、
父神が御母に「この娘に決めなさい。」とおっしゃられたと後から
御母が母にお話下さったそうです。
この頃父は徴兵され、名古屋の士官学校で士官になる訓練を受けて
いましたので、名古屋でお見合いをしたのですが、
その知らせの電報を届けてくれた上官が、からかう様に笑いながら
「お前の家は、ごつい家だな」と渡してくれた電報には
「○○日、見合い、断るな、神」と書かれていたそうです。
(「十五の月」に書かせて頂きまして原稿を、
少し手直しさせていただきました)
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