豊明神使との思い出
I井所領主
東京の愛子の皆さんの殆どは、豊明神使といえば「バカヤロー」の言葉が
思い出されると、そんな話をよく聞きます。
確かに豊明神使の「バカヤロー」は、東京の愛子にとって、怖かったけれども
懐かしい嬉しい言葉でありました。
前回の感謝祭の折り、お話をさせて頂いた中で「豊明神使は誰にでもバカヤローではなく、
人それぞれに合った叱り方をされた。」申しましたが、まさにその通りのことが
確認できました。
発会三十周年事業の、「OBの聞き取り調査」(勝手に命名)に同席しました折、
そのOBの方が「私は一度もバカヤローと言われたことはない」とひとこと。
すかさず同じOBの奥様が「あなたは、バカヤローと言われたら、やーめた、のタイプ
だから言われなかったのよ。」と更にひとこと。
これには同席したメンバー全員が大爆笑でした。
豊明神使のご愛情あふれる一面がわかると思います。
さて私は上京した時から豊明神使に電話の声の件でいつも叱られておりましたが、
豊明神使は私に、「愛子は、寳主様御母の御笑顔と共にありて、真の護りあり。」
の御教えを引用され、御母の笑顔と共にあるものは、つまらんことにくよくよするな。
真吾ぼうずは、~~当時私は、豊明神使から真吾ぼうずと呼ばれておりました~~
考えすぎるから余計に暗くなる、と言われ、電話でお話をしている時少しでも
声が小さかったり、暗い声でいますと、電話の向こうで必ず「たわけ!」と
豊明神使に一喝されまして、何度も何度も叱られました。
私はいまだに電話の声が大きすぎるといって、家内に苦情を言われるのですが、
この頃豊明神使に何度も叱られた事で、自然に電話の声が大きく元気になった
ものだと思っています。
また、税理士試験についても、豊明神使は
「運根鈍 愛子の家数 雲高の 八重旗雲とし 弥世に築かん」の御教えから、
愛子は、御母を知ったこと自体が運・即ち幸運である。
運は他の誰よりもあるのだから、この運を土台にして、我には父神御母ありの安心感に、
物事に根気よく精を出そう。
少しのことにへこたれず、カミソリの切れ味ではない、斧のような鈍重さで
~~真吾ぼうずはどう見てもカミソリではないから大丈夫だな~~と仰りながら
ご育成をいただきました。
私は運根鈍、運根鈍で合格致しました。
今振り返っても、まだ運根鈍の人生は続いております。
最後に一つ。
豊明神使は「仁と礼」の御教えから、「いつも「気働き」が大事なんだよ」
と仰っておられたのがとても印象に残っており、いまでも忘れることのできない
言葉であります。
(十五の月に掲載されました記事を、御本人の同意を得て載せさせて頂きました。)
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