044 祝舞大会と4月の「こぼれ話し」

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祝舞大会と4月の「こぼれ話し」

豊明神使現未移相後、初めての祝舞大会でした。

奇しくも今年のパフォーマンスは東京青年会案のパフォーマンス。
S沼会長、O村幹部で案をねって、S沼A子さんのクモの糸投げのアイデア、
S井E子さんの小物作り、青年の方々何度も練習をし、意見を出し合いながらの
息の合った、熱血松岡修造さんをもじっての楽しいパフォーマンスでした。

豊魂君から「東京らしい、素敵なパフォーマンス、豊明神使の伝統ですね。」
とのお褒めのお言葉を賜りました。

2年に一度の「心の花籠」も、東京招世クラブ「トーンチャイム」の御奉納。
毎週の錬成、広い東京ですのに殆ど欠席もなく、I井所領主の御指導の下
全員和気あいあいの楽しい錬成でした。

思い合う和情の暖かさの伝わる「トーンチャイム」と「パフォーマンス」
「豊明神使の伝統」は内に流れる「有情」に彩られた伝統でもあります。
豊明神使の御本部内のお部屋には、愛子の方々から戴いた、お写真、記念のグッズ、
描かれた絵、作られた作品が、大事に大事に飾ってありました。

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毎月、「御母の御略歴」を感謝祭で御拝読させて頂いております。
その時にこぼれ話もさせて頂いていて、翌月の「十五の月」に掲載させて頂いています。
今回は5月号に掲載させて頂きました4月の「こぼれ話し」です。

4月の「こぼれ話」では、3月30日に
立田主権御母慈生真寳主千歳萬香美様の大御手に引き取られ、
現未移相させて頂きました、父、豊明神使への皆様の日頃のお心遣い、
御愛情への御礼をさせて頂きました。

父は一月末に体調をくずし入院。二日後容態が急変し、その時妹、姪が
「お父様」とか「お祖父ちゃま」と呼びかけても反応がなく、
「豊明神使」と呼んだら反応してくれたそうです。
次の日から四日間、私は妹が用意してくれていました御神訓御神歌の流れる
病室で、父についていたのですが、容態が安定していなくて、この数値なら
看護師さんを呼ばなくてはいけないという線の近くまでいく事が何度か
ありました。

この時「豊明神使」で反応したという事を思い出して、感謝祭の時、
どなたかは必ず、父の事を尋ねて下さり、豊明神使お元気ですか、とか
豊明神使のお蔭で今があります、とか、あの時のあのお言葉で等、感謝祭で
私に言ってくださるお話しを思い出し、
皆様から戴いたお言葉、近況を伝えさせて頂けば父が分かるのではと、
誰々はこういってくれています、誰々は本当に幸せそうに、とか
話しかけました。
すると、どうでしょう。父が一生懸命その話しを聞いているのが分かりました。
そして父の身体に力が溜まって行くのが分かりました。
翌日びっくりする位容態が改善されていました。

その後、私がいる間に容態が変わった時、その時も誰々が、と皆様がして
下さったお話をさせて頂きました。父の身体に力が溜まって行く様でした。
そして数値が改善されました。
それからは、医者も驚く位数値が回復して行きました。3月の下旬には
退院させて頂き、ずっと父の側で面倒を見てくれていた妹と、
神松賞かしらと言っていたくらいでした。

容態が良い時、家族の嬉しい話、家族の笑い声が父に元気を与えてくれる様
でした。でも容態が悪いとき、皆様の消息、ご愛情のお言葉が父に力を与えて
くれました。
普段は父でしたが、究極の時は「豊明神使」になっていました。
皆様が父を気遣って下さった様に、父にとっては皆様の幸せが
自分の幸せだったのでしょう。
父神御母の大きな御愛情にお包み戴き、家族の愛情そして皆様が父に寄せて下さった
ご愛情に包まれて、父は山場をこす事が出来ました。
皆様の父を思ってくださるお気持ちが父に力を与えてくれました。
本当に有り難うございました。

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第十五青年会の会誌「十五の月」5月号の「こぼれ話」ですが、
この文章ですと、すっかり回復ともとれてしまいます。
この文を読んだ方々に誤解を招いてしまいました。
最後の「本当に有り難うございました。」の前に

「神松賞ね」と話し、退院させて頂きました、数日後、
湯河原在住時の温泉生活ですっかり入浴好きになっていました父は、
好きな入浴をした翌日、眠る様に現未移相させて頂きました。

を入れておりましたらと、思っております。

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