017 豊明神使との思い出【1】N澤所領主

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豊明神使との思い出
N澤所領主
□星友子供会の頃
50数年前、私が小学校5、6年生、星友子供会の頃、その当時は、
昔の道場でしたが、劇を発表させていただいていました。
その劇の練習を豊明様のご自宅でさせていただいていたのですが、
いつも豊明様がにこにこ笑って見ていて下さっていました。
劇の内容は定かではないのですが、覚えている事としては、私は悪い方の
大将で良い方の大将が妙子さん。
何かとても悪い事を言いながら最後は改心するという役でした。それ以来
妙子さんには頭が上がりません。
その頃は月一回の感謝祭に市川の豊明様ご自宅に伺うのですが、私はなにしろ
悪い子でしたので、I田所領主や、私の弟と一緒におとなしくしていませんでした。
それにもかかわらず、豊明様はニコニコ笑って見ていて下さいました。
もう一つ印象に残っていますのは、豊明様のご自宅に伺うと、とっても
美味しいお菓子を出して頂いたことです。
これらはほんの小さな事ですが、今思いますと将来の道が出来る、
礎となっていたのでしょう。

□朝のお電話
私はしばらく岐阜に言っておりまして、結婚してまた東京へ帰ってきました。
その頃、豊明様から毎朝だいたい6時50分~7時位の間にお電話をいただ
きました。日曜日も含め、別に用事がある訳でもないのですが毎日お電話を
いただき、それが三年位続いたのではないかと思います。
変な声で「もしもし」と電話に出ますと、電話の先からがーんと怒られました。
この事がありましたので、今ではどんな時でも、どんな状況でも同じ様に
丁寧な電話が出来る様になりました。
仕事をする上で大切な事を教えて頂いたと思っています。

□夏季大会の錬成
青年幹部のときは夏季大会に御文治の暗誦というのがありまして、
これは皆さん同じ様な感覚か、私だけかもしれませんが、
出来が悪いもので中々覚えられなくて、私の時は不双の御神訓でした。
玄関を入って2つお部屋があって、そこの所に豊明様が座っていらして、
その前で暗誦するのですが、いつも失敗するのです。
すると「バカヤロー。二階に行って来い。」「はい」と言って2階で
覚えるのですけど、そう簡単には覚えられない。
そういう事を何度もやっていますと御本部で当日の緊張感がさらさらないと
言いますか、出てくるのですね言葉が自然に、あれには本当にびっくりして、
ああゆう緊張感というのは皆さんそこに現場にいた方は分かると思います。
緊張感というより本当に恐かったです。
恐い豊明様なんですけど、笑うと何とも言えない笑顔なんです。
金歯がぴかっと光ってそれが本当に思い出に残っています。
お優しくて、恐くて、親父の様な豊明様でした。

□所領主御拝命
私は昭和52年に所領主を御拝命させて頂きました。
当時まだ31、2才だったと思います。子供も小さくて青年幹部をやって
いましたが「突然所領主をやってみなさい」と豊明様からおっしゃっていただ
きました。「分かりました」というお返事をさせて頂きましたが、かなり若い
所領主でありました。
これもやはり豊明様が色々考えて下さった事だと思います。

最後に、これはこぼれ話ですが、家の女房は美喜栄というのですが、
豊明様は最後まで「きみえくん」でした。
有り難うございました。

(十五の月に掲載されました記事を、御本人の同意を得て載せさせて頂きました。)

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「雪月花」からのお願い。
「私達の青春のアルバム」コーナーでは、「豊明神使との思い出」を取り上げて
参りたいと思います。
どうぞ「雪月花」まで「豊明神使との思い出、こぼれ話し」をお寄せ下さいませ。
こんなことがありました。こんなお話をしました。等
「バカヤロー」等有名な事の他にも、一言の思い出でも、眠っている
お話がありましたら、どうぞお寄せくださいませ。

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