043 宿縁豊明神使 精果復華祭 御礼申し上げます

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宿縁豊明神使 精果復華祭 御礼申し上げます

3月30日、満開の桜の下
立田主権 御母慈生 真寳主千歳萬香美様の 大御手に引き取られ、
父、宿縁豊明神使は精華として 暫しの眠りにつきました。

生前の父へのご懇情、ご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。

素敵な自慢の父でした。
愛情深く、ユーモアがあって、何でも知ってて、
何でも出来て、ハンサムで、、、

4月1日、前夜祭、4月2日仮の精果復華祭を
豊魂君御名代、素裔芳幹神使のご臨席の下、御執行戴きました。
そして
5月30日、御本部精華院にて、豊魂君御名代素裔芳幹神使ご臨席、
紅霞神使の皆様ご臨席の下,精華復華祭を御執行賜りました。

本来、御本部内の御式典でございましたが、参座ご希望の声が強く、
急遽愛子の皆様の参座も認めて頂きましての
精華復華祭でございました。

多くの方々が父をお慕したい下さってご参列下さり、
感激と感謝の心で一杯でございます。
本当に有り難うございました。

御母の御手で今世の大役を終えて、次世の御使命へと旅立たせて頂きました父の顔は
凛として気高く、「父」というよりは「使命者」としての顔でございました。
お医者様が少しでも苦しかったり辛かったりすると顔が歪むのですが、
全く歪みのない、きれいな顔ですねとおっしゃって下さったそうです。

感謝祭で松田所領主が父の思い出で、
豊明神使は「男がほれる男」と言って下さいましたが、
父には独特の美学、ダンディズムがありました。

「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の望月の頃」
(願いが叶うならば、桜の花の下で春死にたいものだ。満月の頃に)
この歌が好きだったと、中臣神使が兄(伊佐英神使)に教えて下さいました。

「願わくば 花の下にて 春死なん」
(願いが叶うならば、桜の花の下で春死にたいものだ。)の通り
3月30日から桜が満開で、4月1日2日の仮復華祭の日は岡山中
どこへ行っても桜が満、満開。
式場の名まで「さくら祭典」
御本部での4月5日の大祭も満開でした。
満開の桜に囲まれての現未移相でございました。

そして「その如月の望月の頃、」(如月の満月の頃に)の通り、
満月は4月4日でした。

父の美学のままの「大好きな歌のままの」現未移相でした。

豊魂君が「有情の人」とおっしゃって下さいました父、豊明神使は、
「有情の年」の七教四年の最後3月30日に現未移相させて頂きました。
七教五年、4月5日の大祭の桜は満開でございましたが、
小雨に煙った中、しっとりとした風情に溢れた「雨情の桜」でございました。

御母の長子として、御母の十六夜月にいざなわれる様に11月18日に
生まれさせて頂いた父は、
宿縁として御母の神系御立国のご助援を、
また紅霞として御助援をさせて頂き
天上ご帰還の3月21日の御母にいざなわれる様に3月30日に
現未移相させて頂きました。

父神御母の御愛情にお包み戴きましての「父」だったと、
大きな御愛情にお包み戴きましての「父」の人生だったと、
しみじみ感激させて頂いております。

そして5月30日の精華復華祭は
豊明神使の風姿、緑風光風、
暖かな日差しの中、爽やかな5月の風の中での、
精華復華祭でございました。

本来御本部内の御式典でございましたが、急遽愛子の皆様のご参列の御許可を賜り、
ご連絡が御座いましたのが御式典の9日前。
現役を退いて10年以上経ちましたにもかかわらず、400名近くの方々が、
父を慕って下さってご参列下さいました。
心から感激させて頂いております。

父神御母の大きな大きな御愛情にお包み戴き、
そして皆様にこんなに思って頂きました父の人生は本当に幸せな人生でございました。
本当にありがとうございました。

父、豊明神使は、日本人にしては肩幅もあって、胸幅も厚く、、
豊魂君はスーパーマンのクラー・ケントと重なるそうです。

神系御立国のお役に立つべく現身移相させて頂きました父の魂は、
次世でどんな活躍の人生を送らせて戴くのでしょうか。

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