042 一月、二月の「こぼれ話」

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一月、二月の「こぼれ話」

青年会今年のテーマは「こぼれ話」という事で、1月感謝祭から御略歴
御拝読の前に少しお話をさせて頂いています。

1月の「こぼれ話」は
御母の教員時代、御母は「評判の美人先生」だったそうです。
また、
浅草の専業主婦時代、今はキャラ弁がはやり、やりすぎて禁止の所まで出ている
そうですが、時代は昭和になったばかり、日の丸弁当という言葉がある位の
無彩色の時代、こんな時代ですが、
御母の作られるお弁当は色々な色が入ったきれいなお弁当だったそうです。
今だったら、きっとキャラ弁でしたね。

2月は十五の月「未踏久への歩み」に、豊明神使の事を書かせて頂きましたので、
そのこぼれ話をさせて頂きました。
豊明神使は優秀で、中臣様もきらめきセミナーで「勉強は出来る、スポーツは
出来る、おまけに人柄が良い」とおっしゃって下さっています。
その上、脚本を書くのも得意でした。

(勉強は一橋大学を3番で卒業、スポーツは国体インターカレッジに
陸上の選手で出場。その他ボート部でエイトの選手、柔道は二段、
文芸部で「詩」も書いていました。)

昔の道場の頃は大祭、明星祭、子供会には各神謳会それぞれが独自の劇や
舞踊を御奉納させて頂いていました。
その頃の全ての東京の「劇」の脚本を書いたのが豊明神使でした。
(子供会の脚本に「ジャーデンヒルの決闘」などがありました。)
御本部の「劇」の脚本を書かれたのが中臣様でした。
その中臣様の脚本はお芝居形式でした。
豊明神使の脚本は劇の中に舞踊ありダンスありという「宝塚」形式でした。

一見全く違うもののようでしたが、お二人の脚本には共通点がありました。

それは見る人を楽しませてくれるサービス満点の、
見る人に楽しみを与えてくれる作品という所です。

きっとお二人とも当時の大衆文化の中心地浅草で育たれ、
その文化を肌で感じていらっしゃったからではないでしょうか。

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