041 御略歴御本 祖父に育てられた長男

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御略歴御本 祖父に育てられた長男

「絵本の会」の会合では毎回色々なご意見、ご質問があり、アイデアも楽しく
「御母の御略歴」の御本化の会合を楽しみにさせて頂いています。
その中で、こんなご意見が、ご質問がありました。

御文治体系第六巻P848『祖父の手で育てられた長男が』という所。
「祖父」と言う方の説明を入れると言うお話の中で、祖父という方は日本教に
関係ないから説明はいらないのでは、というものでした。

この「祖父」ですが、、兼助様と思われている方がいらっしゃいました。
ここから既に違っているのですが、この「祖父」とは、
御母の嫁ぎ先、長谷部家の当主で、勇け様の父親にあたる、
長谷部金三郎氏の事なのです。

祖父という方は日本教に関係ないからというご意見に対しては、
十二月の会合の時に
御母が御母になられる前に関係のあった方々、
御母に御影響を与えられた方々は皆様、
父神があえてそこに置かれた、使命者でいらっしゃる事。
関係のない方はいらっしゃらないという事をお話させて頂きました。

御母の嫁ぎ先、長谷部家の当主、長谷部金三郎氏もその一人です。

豊明神使は子供時代金三郎氏と一緒に暮らしていました。
この当時の事を時々懐かしそうに語っていました。
特にお気に入りはお香典のエピソード。
金三郎氏は、自分が亡くなった時のお香典のお返しの為に、あの家は
これこれだから幾ら位お香典が来る、だから幾ら位お返しをと、、
お香典の予想と全てのお返しの金額を指示していたそうでが、、、、
それが全てあっていた。
あれはすごかった、、と畏敬の気持ちを交えながら懐かしそうに
話してくれていました。

金三郎氏。ひょうひょうと超然として地位とか名声に全くこだわら無い方
でしたので村長になってほしいと言われても、断っていましたが、
どうしてもと言われて村会議員を引き受けた言う方でした。

なにしろ頭はよく、洞察力に富んだ金三郎氏。
こんな金三郎氏ですので、お金は自然にたまってしまう。
人望があるので、困っている人が頼って来る。
山を買って下さいと言われると買ってあげるので、山も自然に増えていく。
中にはこんな所、何に使うのという位の田畑、山もあったそうです。
生活にゆとりがあったので、請われて救いの手を差し伸べたと言う方 が
近いみたいです。

この金三郎氏と一緒に暮らし、彼を支えていたのが豊明神使でした。

山の境界線は今でもこの木とこの木を結び、とか、この岩を結んだ 線、、と
現地でしか分かりません。
豊明神使は全ての境界線を覚え、祖父を支えました。
金三郎氏は孫に支えられ、上之保村周辺の山々を自然と買い集めていました。

この時「豊明神使は七歳だったのでは?」との質問がありました。
豊明神使は七歳でしたが、とても優秀でした。また当時の子供は「家」への思いが強く
とりわけ豊明神使は責任感、使命感が違いました。
豊明神使は境界線をすべて覚え、金三郎氏の心の支えとなり、
金三郎氏を助けられていました。
金三郎氏がなくなった時、境界線を知っていたのは11歳の豊明神使だけでした。

自然と手に入れていたのは御神苑全域の山々と、村の周りの山々。
この時すでに日本教の基盤になる部分は、長谷部家のものになっていました。

御神苑、新玉殿の御完成の時、
「精華院の裏の山の一部以外、全部「家」の山で出来たんだよ、、」
お祖父さんと自分の思い出の結晶がお役に立っている、、、。
豊明神使は私に嬉しそうに、誇りに輝いた声で話してくれました。

また、「小学校の教師のお給料で、一ヶ月親子四人温泉に宿泊出来たのですか。」
という思わずにっとしてしまった、素朴な意表をついた質問もありました。

この質問。村一番の長谷部家です。山々もあり田畑もありました。
先祖伝来に加え、金三郎氏が形成した資産もありました。ゆとりの一ヶ月です。

このゆとりの力で、勇け様が教師の職を辞されて故郷に帰られても、
お金の心配をする事無く、日本教の為に邁進する事が出来ました。
このゆとりの力をつくったのが長谷部金三郎氏。
この祖父を支え力になったのが豊明神使。

また、長谷部家への信頼、金三郎氏の人望も、、日本教を広める大事な要素でした

御母が御母になられる前に関係のあった方々、
御母に御影響を与えられた方々は皆様、
父神があえてそこに置かれた、使命者でいらっしゃる事。
関係のない方はいらっしゃらないという事をお話させて頂きました。

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