御神学の東京とは? 【7】完
紅霞馥容様 ・ 後書き I田M生所領主
紅霞馥容様
この頃、東京の担当紅霞神使は馥容様となりましたが、今思えば発会式に
向けての御派遣かと思う程、本当に大きなご指導、ご鞭撻を頂戴致しました。
昭和五十九年六月の御親謁には約70人の新人と共に
御母に御拝謁賜り、御祝歌、大御声ととも〈東京は何を作るの?日本教の
枢軸の青年会、日本教の江戸城をつくれ〉と御言葉を賜りました。
〈神系不双覚醒第十五青年会〉との尊き御神授名は、
父神・御母に御降臨の昭和十五年に通じ、十五夜の月、
真の中心の月・十五夜の月=真如の月に通じると御教え戴きました。
この時から発会式式典の内容が急速に固まり、馥容様の御指導に下、
東京にしか出来ない事、東京らしい事は何かと幹部一同知恵を出し合いました。
そして、三部作として第一部=御神書に東京在住の御母を御偲び申し上げ
第二部=現在の東京の姿を表しながら、第三部=将来のあるべき姿を舞楽他で
表現していこうとなりました。
この時第二部での現在の姿を勤務先や自宅での姿や御親謁参座のバスの
車中の映像だけでなく、上援下推の美に映えて報本反始の仁と礼に立つ時、
既に東京の代名詞となっていた〈御神学の東京〉の姿を現せないかと
なりましたが、まだ弦誦御神学の発表される前で馥容様には〈御神学〉の
原稿をお書き戴く等大変ご尽力戴きました。
符節を合する御水脈引きとはこの事でわずか二ヶ月前の昭和六十年二月に
〈弦誦御神学〉は発表され、発会式に全員で暗誦させて戴く事によって
1500名を数えた和情参座の皆様に〈御神学の東京〉の姿は強くアピール
されたのでした。
紅霞馥容様には化導修練の部の原稿を殆どお書き戴く等、馥容様なしでは
あの様な内容のある発会式は出来なかったとはっきり断言できるほどです。
後書き
〈御神学の東京〉とは長い歴史の中で私たち東京地区の十五青年会に与えられた、
心地よい形容詞です。
時代時代の中で、豊明様が楔を打ち、岩田帥征奉帥司が耕し、馥容様が不動の物
とされた〈御神学の東京〉それも先輩幹部、先輩青年愛子の皆さんが
御本部とは道遠しとて遠からず、
御母に少しでも近づきたい一心で、夏季大会や発会式の際に頑張った姿が
そこにあったからではないでしょうか?
ご利益だけ求めるのでは他の宗教と同じです、今私達は御神学の内容を
真に理解し、〈知に立ちて 情に通わせ 意に結ぶ〉そんな姿を求められて
いるのではないでしょうか?
又青年幹部、青年愛子の使命は何でしょうか?
神の子の 若人立ちて 鬨の声 人はめざめて 不双の再建
号魂放中歌にもある様に、召されて使命に立つ青年幹部、青年愛子だと思います。
私は〈御神学の東京〉を若い皆さん方に書面で伝承したいと思いました。
そして若い青年幹部、青年愛子の皆さんにその心地良い形容詞を
継承してもらいたいと願っています。
心から期待しております。
(平成二十年に書かれた物を掲載させて戴きました)
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