御神学の東京とは? 【6】
青年会の発会
昭和五十五年は、まさに〈いそがえりの年〉この年東京地区青年会は発会の
のろしを上げ昭和六十年四月二十八日の十五青年会発会へと進む事となりました。
一月十六日・明星記念御奉賀際のよき日、東日本橋の西山商事をお借りして、
初めての幹部会が開かれ、発会をめざすこととなりました。
既にこの時には玉常様は御入教・K山K彦君は岐阜に帰っていましたが、
N山幹部からお二人の熱い想いが打ち明けられ、今東京に入る我々が頑張らなければ、
そんな思いになったものでした。
当時の青年幹部はI井所領主を初めとしてF井S帆君、N山T章君、N澤K治君、
M田S君、I井K介君、正和工業のO関さんやY田さん、それにY田君、S野君、K沢U君、、
あるいはN根Y二君、S井君、N谷君、W杉君などなど、実に豪華なメンバーが
入れ替わり東京に来て下さり、
まさに東京地区青年の発会に向けて
父神御母が追風の御水脈引きを送られた結果だったように思います。
二月の図南会権擁祭にて、K沢会長を始めN根さん、F井T嘉子さんなど五名の
助領の誕生が発表されましたが、発会式に向けて神謳会の皆様の影になり
陽になりの御指導ご鞭撻を考えれば、まさにこの事も発会式に向けての
多いなる後押しになったような気がします。
こうして、この〈図南会〉権擁祭と幹部会を中心として、発会に向けて
少しずつ少しずつ動き始めました。
三月・四月の感謝祭にて発会を目指す事を神謳会の皆様に宣言させて戴き、
五月の感謝祭にて青年愛子を招集して発会への意思の確認と資金集め、
連絡網&住所録の作成など基礎固めに費やし
翌昭和五十六年には発会式の目標を〈昭和六十年四月〉と定め、夏より
遂に資金集めに動き出しました。
この年は資金集めのお願いに神謳会や青年会各家への訪問がメインとなり、
又会場をどこにするのかのアイディアラッシュが何回かの幹部会の議題でした。
会場については1500人~2000人入れるスケールと宗教関係の貸し出しが可能か、
駐車スペースは?などをそれぞれ地区別にパンフレットを集めながら見て回って
情報収集していました。
発会式の内容は昭和五十七年五月の三河青年(第十四青年会)の発会式を参考に
決定して行く事となり、又、記念品については昭和五十八年六月の第十三青年会の
成長記念に参座してからと現実的になって参りました。
当然、発会式の最低必要人数を50名として、舞楽御奉納の人数は?
新人誘導は?御母へのお手紙は?計画表の作成は?幹部の役割分担は?
青年会の会長&副会長は?青年会の規約は?
などなど次々と解決すべき課題が浮かび、組織としての体裁を一つ一つ
整えて行く時期となりました。
その後の発会式に向けての動きはまたいずれお話しする機会があるかもしれませんが
先を急ぎます。
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