御神学の東京とは? 【2】
夏季大会と豊明様の部 I田M生所領主
夏季大会と豊明様 その1
後に紅霞となられる3人の青年幹部の皆様を中心に〈序の御声の暗唱〉を
始めとして御文治に親しむ土壌が形成されて参りました昭和44年、
御本部にて初めての地区対抗形式での青年会夏季合同感謝祭が行われ
ました。
後から思えば父神のご計画とはいえ、東京にとってはまさに激動の
昭和43年を終え、高校生になった私は
I井S吾さん(現所領主)H谷部T子さん(現O村T子さん)H谷部S子さん
(現I丹S子さん)達と一教百歌集に出場する事になりました。
一教百歌集はご存知の様にカルタ取りであり、読み手が上の句を読んで
いる間に下の句を探して取る訳で、ポイントは上の句のどこまでで下の
句が決まるかを知る事と、俊敏性にあるわけですが、この時のメンバーは
平均年令二十歳未満と若く俊敏性にも優れ、しかも上の句のポイントも
しっかり把握していた訳でこの負けず嫌いのメンバーが週2回位は錬成を
重ねるのですからどんどん上達します。もちろん一方では語句の意味を
理解しなくてはなりません。昔の御神報などを紐解き、いくつかの御教え
の意味を理解して行きます。
舞楽の第八、粒ぞろいの第六などに混じって東京地区青年も中間発表では
好位置につきながら、最終種目の一教カルタを迎え、道場のすべての目が
カルタに注がれました。
一教百歌集の形式も何回か変わりましたが、50枚読んで取った枚数の
多い順に2回戦に進む形式だったと思います。
私自身は確か準決勝あたりで終わりましたが、決勝戦に東京のメンバーも
残り、多いに盛り上がった中で、最終結果の発表を待つ事になりました。
そして、一教カルタの活躍もあり当時は地区青年であった東京が優勝し
〈御文治(御神学)の東京〉が誕生したのでした。
*補足
一教カルタはこの前年から始まりました。
最初の年にいきなり1位、H谷部T子さん(現O村T子)2位、H谷部S子さん
(現I丹S子)3位、I井S吾さん(現所領主)と東京地区青年会が
上位を独占し、衝撃を与えました。
そしてこの年も同じメンバー、同じ順位で東京が優勝しました。
〈御文治(御神学)の東京〉の始まりでした。
そして〈御文治(御神学)の東京〉を確実にしたのは、
翌年の青年会夏季合同感謝祭で一番の難問の「序の御声とその御通釈」
6ヶ月分を丸暗記し、舞楽殿で一人ずつ何月と言われ暗唱するという
問題でした。
各青年会から2名ずつがエントリーされ暗唱致しました。
そして最後まで間違えなく暗唱できたのは東京地区青年会の2名
だけでした。
K南幹部(現定香神使)とH谷部T子さん(現O村T子)。
同じ東京同士での優勝決定戦となり、緊迫の空気の中
そこでも両者全く間違わず、、、という東京の圧倒的な強さに
〈御文治(御神学)の東京〉を確実にしたのでした。
K南幹部(現定香神使)はこの大会を最後に御入教されました。
東京にいらっしゃる間の夏季合同感謝祭では毎回暗記を任され、
一度も負けた事はありませんでした。
(この補足はI田M生所領主の了解のもと、書かせて頂きました)
ー 続く ー
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