010 御神学の東京とは?【1】

カテゴリーアイキャッチ-青春のアルバム 青春のアルバム

御神学の東京とは? 【1】

皆さんはこの東京の青年会がどうして「御神学の東京」と
言われる様になったか知っていますか?

ここにその回答があります。

今から6年前、東京に4人の青年幹部が誕生した時
当時のI田M生幹部(現所領主)が新幹部の方々に
是非この東京の歴史を知っていて欲しいという情熱で
下記の文章を書いて下さいました。

その文章に感激し、幹部の方以外にも知って頂きたいと
I田M生幹部(現所領主)のご了解を得てここに掲載させて頂きます。

~~~  * *  ~~~  * *  ~~~  * *  ~~~

御神学の東京とは? 【1】
序の御声暗唱の部

若手の第十五青年会の青年幹部の皆様へ
雲泥萬里 雲泥萬里 雲泥万里

以下の記述は、〈御神学の東京〉の言葉がどの様にして生まれたかを、
私の記憶をたどってまとめたものです。従って多少、事実と違う面や
時間的な関係がずれているかもしれませんが、おおよその事は理解して
頂けると思います。

序の御声暗唱
昭和四十一年四月、晴れて中学生になった私は、感謝祭の化導修練の部に
参座する事になりました。
当時の東京は既に三つの神謳会に分かれていましたが、感謝祭は
相変わらず市川の豊明様(当時は第一帥征奉帥司様)宅で行われて
いました。

化導修練の部は、毎月御拝受の日本教御神報に沿って御教え戴きますが、
まず全員で巻頭から序の御声御解釈まで音読した後、序の御声の暗唱が
できる者とお尋ねになり、挙手をした者の中から当てられた一人が
序の御声を暗唱させて戴き、しっかりできれば参座の皆さんから拍手を
頂き、挙手をする者が少なければ〈たるんでいるぞ、そんな事でどうる〉
と葉っぱをかけられる次第でした。

日本教御神報は前月の25日頃の凰翔神使会で御拝受できるのですが、
愛子各家の配布されるのは良くて月初めで、日めぐりによって感謝祭が
早くなると(当時は第2or第3日曜日)暗唱期間が短くてとても大変
でした。中学生になったばかりの私には、そうやって序の御声を暗唱
される先輩青年愛子の皆さんの姿はまぶしくもあり、自分も絶対覚えて
きて挙手をし、皆様方の前で暗唱させて戴こうと思ったもので、それから
直にその番がやって来ました。どうにか暗唱させて戴くことが出来たかな
と思ったのも束の間、最後の一箇所思い出せない所があって、次こそは
の思いがふつふつと湧き出たように記憶しています。

その頃の御教えには三綱系列、華軒香車、三伏、写瓶相承など今でも
懐かしい語句が散りばめられ、数年前の大祭にて御母要務の絃誦になった
〈静御前〉の序の御声などはそれから40年近く経た現在でも、あの頃の
御教えと懐かしくもあり、神系三信の語句によって初めて〈日本教語〉の
存在を知り、何か覚えるものが多いな勉強しなくてはいけないな、、、と
幼心の知的好奇心といったものをくすぐられたものでした。

でもそれは私だけではないはず、むしろ当時バリバリの青年愛子の
皆さんの方がその思いは強かったはず。こうして序の御声の暗唱を通じて
〈御神学の東京〉の礎が知らず知らずの内に作られたのではないで
しょうか?
それは豊明様ならびに紅霞位洋様の御指導だったと記憶しています。

私が中学&高校生の頃の東京の青年幹部は、紅霞伊佐英様、頼玄様、
定香様、の御三方でした。
明治大学で拳法をやってらっしゃって硬派のイメージが強かったものの
私には優しくご指導戴いたY一郎(伊佐英)様、
石川島播磨重工に勤務の傍ら都立大で勉学され、母がいつもその人柄を
褒めていたT橋(頼玄)様
豊明様宅に下宿されながら早稲田の学生服姿でその長身を包みいつも
笑顔でいらっしゃったK南(定香)様、
〈青年幹部とはかくの如し〉を絵に描いた様な御三方を間近で見る事の
出来た私達東京青年の愛子は本当に幸せでした。
きっと知らず知らずの内に3人の浮世での御歩みが私達の目標になって
いたのではないでしょうか。

ー 続く ー

コメント