10月8日、青年会幹部6名が被災地仙台へ。
その時の訪問記を会長SM幹部に書いていただきました。
仙台訪問記(1)
愛子カレンダー印刷所の視察
第十五青年会幹部6名で、被災地仙台の視察と仙台招世クラブの感謝祭
和情参座を兼ねて、仙台へ行って参りました。
10月8日午前8時ちょい過ぎ、東京駅前を出発して約6時間。
仙台のICから仙台空港へ向かいます。
道路両側は見渡す限り田畑。その中に人家がちらほら。
しかし、よく目を凝らしてみると、
「えっ、船がそのまま陸地に残っている. . . . 」
「これ程の勢いで津波が押し寄せたのか. . . . 」
テレビで見た画面の映像が、他人事ではなく、そのまま現実の画像として、
目に入ってきます。
一般道に入ると、ところどころに、がれきとスクラップの
山、山、山。
きれいに並んでいる駐車場の車も、よーく見ると
すべてスクラップの廃車。
ぽつりぽつり見える人家も、ほとんどが廃墟になっている。
震災後半年たってこの様子、、、、、。
あぜん。
第十七青年会の I 幹部と合流、彼の案内で仙台空港に到着。
空港駅の橋脚には、背丈より高いところ、
明らかに津波がこの高さまで来た、
というシミがはっきり残っている。
上階の展望フロアからは、空港の全体を見ることができる。
あのクラスの飛行機でさえ流されたのか、
と驚愕するばかりでありました。
仙台空港をあとにして、一路、愛子カレンダーの印刷所へ。
1階が津波に襲われ浸水し、2階はかろうじて免れ、
半分の印刷が済んだカレンダーは、2階に保管していたため、
無事だった、と聞いていました。
工業団地の中の大きな、立派な印刷所でした。
外観だけの視察でしたが、
「そうか、1階はまるまる水浸し、こんな高さまで、津波が襲ったんだ」
と、しみじみ実感しました。
この印刷所は、カレンダーの半分の印刷が終わったところで
地震と津波に襲われました。
1階で印刷されていましたが、刷り終わったカレンダーは
なんと1階から2階に移動、保管されていました。
そして社長は、残りの半分を
なんとか2階の印刷機で印刷しようとしましたが、
電気が通じていなくて、どうしようもない状態。
そこで電気が先に復旧した知り合いの印刷所に持ち込み、
残りを印刷しました。
そして製本の段階になっても、
留め具のバネ部分の工場も被災して稼働できません。
そこでなかなか手に入らないガソリンを貯めに貯めて、
新潟まで持って行って製本、そして完成。
(東京分は なんと4月5日に届きました)
これほどまでに、関係者皆様の
その一心な気持ちがこめられた平成23年のカレンダー。
「蔵星々(クラスター)」は、
まさに「扶桑の再建」のしるし。
まさに、永久保存版です、、、。
と思いをはせつつ、現地をあとにしました。
006 仙台訪問記(1) SM幹部

コメント
ホーム主Tです。
素敵な記事をどうも有難うございました。
実際に行かれた臨床感にドキドキしてしまいました。
沢山の方々の思いが込められた
カレンダー「蔵星々(クラスター)」
大切に!大切に!させて頂きます。